「神の望み」(新保能宏牧師)

イザヤ書40章11節に「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」とあります。神様の私達への望みは、この羊飼いの主に養われ、集められ、ふところに抱かれることではないでしょうか。それは、神様のもとに立ち帰るということです。イエス様は「二人の息子」の話をしました。神であるぶどう園の主が、兄と弟にそれぞれ「ぶどう園に行って働きなさい」と言うと、兄は「いやです」と答えるが考え直して出かけた。しかし弟は「お父さん、承知しました」と答えるが出かけなかった。どちらが父の望み通りしたかと。この兄と弟の対比は、神殿に入れない神様から離れているとされた徴税人や娼婦達と、神殿に仕え神様に近いとされた祭司や長老達との対比でもあります。イエス様は神様を求めて信じ、御心に立ち帰る前者の人々の方が神様の望みに適った人達だと言われました。しかし、イエス様は、やがてご自身を十字架につける後者の人々も、神様のもとに立ち帰ることを願っているのです。イエス様の愛と慈しみは、どんな人にでも注がれているからです。(イザヤ書40章1~11節、マタイによる福音書21章28~32節)