「希望の光を灯そう」(新保能宏牧師)

花婿を迎える時にともし火の油を持っている賢いおとめと、油を持っていない愚かなおとめのたとえで、この油は何を意味しているでしょうか。それは、神様に対する活き活きした希望であると言えます。神様は、私達に希望を持って生きて欲しいと願っています。なぜなら、イエス様が私達を生かすために、喜んで命をささげて下さったからです。その愛に私達も喜びをもって応えて生きる時、イエス様のささげられた命の輝きが、私達の人生を照らして下さるのです。しかし、イエス様のささげられた命を軽んじ、そこに希望を抱かないなら、私達の人生は神様のあかあかとした命の光を持たないことになります。イエス様の真実の愛に目覚め、心からお応えして生きて行く時、私達の人生は神様の栄光を現わす歩みとなるからです(マラキ書 3章 13~18節、及びマタイによる福音書 25 章 1~13 節)。