「神の愛は、どこまでも貫く」(新保能宏牧師)

主イエスは「わたしの時が近づいた」と過越しの食事の準備をさせます。その食事の時、一人の弟子の裏切りを予告されます。それは御自身が過越しの犠牲として十字架に渡されることを意味しています。ユダは「先生、まさかわたしのことでは」と言いますが、既に主イエスを自らの救い主としては考えず、裏切りの対象としています。にもかかわらず、主イエスはユダを愛し抜かれています。神の愛はたとえ裏切られても「お前を見捨てることができようか」(ホセア11:8)と言って下さる愛だからです。それはどんな罪にも死にも打ち勝つ愛だからです。この愛に委ねていきたいと思います。(ホセア書 11 章 8~11 節、マタイによる福音書 26 章 14~25 節)