「よろしい、清くなれ」(新保恵子牧師)

聖書には、イエス様が多くの病人を癒されたことが記されています。病を負った人が癒しを求め、ひざまずいて願いました。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と。この人の病は、人から見てすぐわかるものでした。皮膚は変色し、カビが生え、ひどい時には、崩れていきました。周りの人は、「この人が何か悪いこと、汚れたことをしたからこんな事になったのだ」と、神様が祝福していない人、神様に見捨てられた人、すなわち「汚れた者」と決め付けました。早速、周囲の人間と触れ合わないように隔離します。この人は、どんな毎日を送ったでしょうか。どんなことを思って過ごしたでしょうか。きっと「死を願って」生きていたと思います。「死を願う人間」が、イエス様のところへ来ました。「このお方ならば、私と会ってくださる。私の今までの苦しい叫びを聞いてくださるに違いない」その信仰に押し出されて願いました。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」。イエス様は・深く憐れんでくださり、この人に触れ「よろしい。清くなれ」と言われました。神の御言葉には力があります。病は去っていき、その人は清められました。神様は私達と共に居てくださり、私達は永遠の命という祝福の中に入れられています。(レビ記 13 章 45~46 節、及び、マルコによる福音書 1 章 40~45節)