「私のために裁かれる主」(新保能宏牧師)

主イエスは捕えられ大祭司らに最高法院の裁判にかけられます。死刑にするための偽証も告げられますが、主イエスは沈黙します。救い主の意志による沈黙でした。それはご自身が十字架に向かわれる意志です。しかし、「人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」と、大祭司が言う「神の子メシア」として、やがて再臨する事を暗示します。神の裁きを行う者が人に裁かれているのです。本来、罪ある人間が裁かれ、悲しみと苦しみを負わなければならないのです。しかし、主イエスはその身代わりになられたのです。私達一人一人の神の子メシアとは、私達に真の救いと永遠の祝福を与えるために、どんな苦痛も屈辱も受けられる方だからです(詩編 38 編 1~23節、及び、マタイによる福音書 26 章 57~68 節)。