「十字架の恵みに立つ」(新保能宏牧師)

私達には欠けや弱さがあります。心から神を信頼できず、それを隠そうとしたり強がったりします。時に誰かへの攻撃や怒りに姿を変えます。神はそんな人間の罪を見つめておられます。主イエスはそんな人間の攻撃や侮辱を受けられました。人間の罪の身代わりとなり、彼らを救うためです。主イエスは、病の人を癒し、悪霊を追い出し、死人を生き返らせました。御自分を救うことをせず、徹底して他者を救う方です。だから「十字架から降りて来たら信じてやる」という罵声を浴びても十字架から降りられませんでした。たとえ、十字架から降りたとしても、彼らを神の命に生かし、福音の喜びに導くことができないからです。真の信仰を生れさせることにはならないからです。真の信仰は、欠けや弱さ、罪ある自分が、主を十字架につけ、その十字架で赦されたことを知り、主による復活の希望への福音に生かされます。そして、主の十字架の恵みのもとで、喜んで主に従う歩みに押し出されて行くのです。(詩編 22 編 1~32 節、及びマタイによる福音書 27 章 27~44節)