「私達の真の誇り」(新保能宏牧師)

神の救いに与る時、人間の能力や資格やこの世的な知恵は問題になりません。私達が誇りに思うものが、神の目には誇りとしては通用しないからです。むしろ聖書には「誇る者は主を誇れ」とあります。主キリストがどういう方か目覚めることです。キリストは御自身の十字架によって、私達の罪を赦し贖って下さいました。また、私達を友として選び、神の御心を共有できる者にして下さったのです。まさに、あるがままの私達を十字架の血によって召して下さったのです。この世で誇るものがない。むしろ、自分には救いに役立つものが何もない、それどころか、自分は神によらなければ救われないと目覚める時、神の一方的な恵みの中に招かれていくのです。キリストに結ばれることの幸いがここにあります。キリストは私達にとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたからです。(エレミヤ書 9 章 22~25節、及び、コリントの信徒への手紙一 1 章 26~31 節)