「悲しみは、美しい愛へ」(新保能宏牧師)

私達は神に救われて、礼拝の喜びに与ります。その時、私達以上に神は私達が御前に礼拝することを喜んでおられます。救われるためには、罪による悲しみや苦しみもあるかもしれません。また伝道や牧会を通しての戦いもあるかもしれません。しかしその時、神御自身が戦われ必ず勝利して下さる希望があります。なぜなら、神が私達を喜びとし、深い愛を注いでいて下さるからです。使徒パウロは、コリントの教会において悲しみに覆われるほどの経験をしていました。しかし、彼はコリントの教会の人々を愛して止まなかったのです。互いにキリストの御前に立ち、主なる神に全てを委ねられる信仰の喜びがありました。コリントの人々の真の悔い改めは、神の力と御業によるからです。神が全ての悲しみを、救いの喜びに導く、愛にかえてくださっているからです。(ゼファニア書 3 章 16~20節、及び、コリントの信徒への手紙二 2 章 1~4 節)