「神が共にいる喜び」(新保恵子牧師)

クリスマスは「インマヌエル・神が私達と共におられる」喜びが現実となった出来事でした。この知らせは預言者イザヤを通して、まず南ユダ王国アハズ王に伝えられました。当時、南ユダ王国は周辺の国によって戦争に巻き込まれようとしていました。そのために王も民も「森の木々が風に揺れ動くように動揺(イザヤ書7章2節)」しました。神はアハズ王が恐れないように、「主なるあなたの神にしるしを求めよ」と言われます。アハズ王は「わたしは求めない」と断りました。神の力よりも、周辺にある大国の援助を受けた方が頼りになり、確かだと考えたからです。神の力より人間の力を信じたのです。その結果、アハズは援助を求めた大国に利用され、政治も宗教も支配されてしまいました。しかし神はアハズ王に断られて拒否されても、「しるし」を与えると約束されました。アハズ王のように、神を退けてしまう罪をもつ人間にとってその「しるし」は、神の権威と救いそのものだからです。マタイによる福音書1章20節以下には「しるし」はイエスと名付けられた男の子であると告げられます。イエス様こそ、アハズ王に象徴される人間の罪を贖うために、十字架の苦しみを担われて私達を動揺させるあらゆる罪、不安の中に共にいてくださる方です。その罪より救い出して「神が共にいる喜び」を与えてくださるのです。(イザヤ書 7 章 1~14 節、及び、マタイによる福音書 1 章 18~25 節)