「キリストの使者として」(新保能宏牧師)

私達は神の目から見たら、罪があり裁かれる存在です。しかし、キリストが私達の身代わりとなり、十字架にかかってくださいました。だから、私達は赦されて、神との真の平和を得、さらには神の大きな恵みと祝福を約束された者になりました。神はこの私達に新しい務めを与えられました。それは、自らが赦され、平和と喜びを与えられたように、隣人にもその祝福を伝えるという務めです。そうして、その隣人にもキリストによる救いと神の恵みをもたらすことです。それは、聖書の言葉によれば「キリストの使者」になることです。なぜ、私達が「キリストの使者」になれるのでしょうか。それは、私達自身の中にキリストの赦しと救いの祈りが込められているからです。こうして、救われて恵みを受けている私達自身が、キリストの祈りそのものであることが分かります。神の愛の中に生かされています。だから、神は私達を「キリストの使者」として、神の真の平和と、神の大きな恵みを伝えられる力と喜びを与え、遣わされるのです。教会はこのキリストの祈りに支えられ、また一人一人がこのキリストの祈りに合わせて祈る幸に招かれているのです。(イザヤ書 52 章 1~10 節、及び、コリントの信徒への手紙二 5 章 16~21 節)