「愚かさを誇る」(新保能宏牧師)

パウロはキリストの福音のため、キリストに従うために、言葉では言い尽くせないほどの苦難に遭い、迫害にも遭いました。その中では孤独や不安、疑い嘆きなどの弱さを十分に感じたでしょう。しかし、そこで知ったのは、自分と共に自分以上に苦しまれているキリストがおられたということでした。それがパウロを支えパウロの「誇り」となりました。だから、「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」と、弱さやつまずき、罪の中にある人々に、キリストの福音を伝えるために、いてもたってもいられないと告白するのです。「誇るのなら、わたしの弱さを誇る」と、弱さの中にキリストが働いていてくださるからです。だから、「主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。」と、神を讃美し、同時に神がそのことを証言してくださると、喜びと確信に満ちているのです。私達の弱さの中にこそ、キリストが働いてくださることを、神が確かに証ししてくださり、また、私達も誇ることができるのです。(イザヤ書40章27~31節(旧1,125頁)、及び、コリントの信徒への手紙二11章16~33節(新338頁))