「ただ神の恵に」(新保能宏牧師)

パウロは「わたしは愚か者になってしまいました」と言いました。誰でも自分は認められたいし、誉められることをしたいと思います。しかし、神様の御心を行う時、あえて「愚か者」にならなければならないこともあると言います。それは、キリストに従うことに繋がるからです。だから、それは忍耐が必要な時です。へりくだり、打ち砕かれることでもあります。しかし、その忍耐の中にキリストの力が働き、御業が成されていくのをパウロは知っていました。だからこそ、コリントの教会の人々に対して、パウロは愚直に神の御心と力に頼ることを自ら示すのです。たとえ「愚か者」と呼ばれてもです。そこでこそ、神がパウロを生かし、導いているからです。パウロはそのことを証しするのです。この証しこそが、主の体であるコリントの教会の人々への、何にも替えがたい、愛のしるしと奇跡となったのです。(イザヤ書57章14~21節(旧1,155頁)及び、コリントの信徒への手紙二12章11~13節(新340頁))