「聖霊の導きに」(新保能宏牧師)

コリント教会に対するパウロの心遣いを読みとることができます。その心遣いは、親心にたとえられます。たとえ親は自分が犠牲になっても、子には最高のものを与えたいと思います。親の愛が子に伝わらなくても、子が生きられることを望み、苦しみや悲しみにも耐えるのです。まさにパウロという伝道者は、コリント教会の人たちにとって信仰の親となりました。しかし、そのような中で、パウロはコリントの教会の人たちに「悪賢くて、だましとった」と非難されていました。そればかりか、パウロが派遣したテトスや兄弟たちまでも疑われてしまいました。それに対してパウロは「わたしたちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか。」と、救いの恵みに導かれるのは、人間的な思いではなく、聖霊の導きと、キリストのみあとに従って行く事ではないかと促すのです。それは、まさに、キリストこそが私たちに神の恵みを与えるために、御自身を犠牲にされ、どんなに人々に苦しめられ、十字架につけられても、ただ、深い愛をもって報いられたのです。そのキリストに従い神の霊に導かれようと、パウロは切ないほどに呼びかけるのです。(エゼキエル書11章14~21節(旧1,309頁)、及び、コリントの信徒への手紙二12章14~18節(新340頁))