「神の力によって生きる」(新保能宏牧師)

パウロはコリント教会の人々に対して、厳しい態度で手紙の最後を書き記そうとしています。それは、コリント教会の人々がパウロを本当にキリストの使徒であるかを疑っていたからです。コリント教会の人々にとってパウロは弱々しく見えました。キリストの使徒は、もっと力強く、いかにも権威を現わすような存在だと思っていたからです。しかし、キリストの十字架に現わされているのは、苦しみ、死を体験した弱々しい姿でした。パウロは、そのキリストの弱さをあえて負っていると言います。しかし、そのキリストは復活という神の力によって生きています。だからキリストは強いものであると。パウロは神の力によってキリストと共に生かされていると言うのです。どんなに弱々しく、愚かなものに見えても、そこには神の力が働いているのです。だから、コリント教会の人々が真実に救われるために、悔い改めに導こうとするのです。十字架のキリストと復活のキリストの御前に真実に立つ時、たとえ、弱く愚かに見えても、神の力が現わされるのです。(申命記19章15~21節(旧311頁)、及び、コリントの信徒への手紙二13章1~4節(新341頁))