「罪が赦され癒やされる」(菊田行佳牧師)

イエスさまは、人々の病を癒すことをよくなされていましたが、今回の聖書の箇所では、重い皮膚病の人と中風(身体の麻痺)の人の病を癒されました。ここでイエスさまが病を癒されるのに用いた方法は、一つは「汚れを清める」というものでした。当時は病を患う人は汚れていると考えられたので、病気が癒されて初めてその汚れは清められたとしていたのです。しかし、イエスさまは病気自体を汚れとは考えません。病人を汚いものでも扱うようなその心のあり方こそ汚れているとされたのです。同じように、当時は病気をその人やその家族が犯した罪が原因としても考えていました。ですから、病気が癒されて初めて罪が赦されたのだとしたのです。これに対しても、病気をその人たちの自己責任として冷たく扱うその姿勢こそ、罪深い行為なのだとイエスさまはその意味を変容いたしました。癒しに先行する清めと2つめの「罪の赦しの宣言」は、病気を患い身体的にも精神的にも苦しめられていた人々の心に触れる神のみ手そのものでした。心や体の癒やしもさることながら、人々の病人への考え方をお癒しになり、その関わり方を変えられたことが、より大きな意味での病の癒しの業として言うことができるでしょう。(ルカによる福音書5章12~26節(新110頁))

2019年2月24日説教原稿
「罪が赦され癒やされる」(菊田行佳牧師)
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